かくれんぼ

思いつき雑記ブログです

「忘却」も素晴らしい

忘れてはいけないことや
忘れたくないことも
忘れてしまうから

 

一見、
覚えている=良
忘れる=悪
みたいな捉え方をしてしまいがち。

 

確かに
どちらかといえば
覚えていて困ることよりも
忘れてしまって困ることの方が
多いとは思います。

 

仕事においても
生活においても。


でもさ
「忘れる」って
めちゃくちゃありがたい能力だなって
思いませんか。

 

一刻も早く忘れたい
あんなことや
こんなこと

 

それは
恥ずかしいことだったり
腹立たしいことだったり
悲しいことだったり
色々あるとは思うけど

 

時間が解決してくれるのなら
時間よさっさと過ぎてくれ

 

そう思う出来事は
誰だってあるはずで

 

なんなら今の私が
そうなのですが。

 

人に会って話したり
新しく違う体験を重ねることで
その忘れたい記憶を
薄めるために必死ななうです。笑

 

あんなことや
こんなこと

 

全部覚えてたら
やってられないよね!!

 

他にも、
先日、友人のコンテンツの協力で
アンケートに答えるにあたり
ざくっと20代を振り返るきっかけが
あったのですが。

 

なんとびっくりするほど
思い出せなくて

 

それが意外にも
嬉しかったりしました。

 

嫌なこと
忘れたいこと

 

順調に忘れることに
成功しています♡

 

どちらかと言えば
以前はあれこれ覚えている方で
なんなら根に持つ方でw

 

忘れっぽい友達に対して
イライラすることが
多かったのですが

 

その友達のおかげで私は
「人に期待をしない」ことを学び
今は心穏やかな人格になりました。

 

すっかり私も
「忘れん坊」の仲間に
なってきたようです。

 

この調子で
最新の忘れたい案件も
瞬殺したいところ。。。

 

書いてる時点で
まだ囚われているが。

おばあちゃんと向き合い始めました宣言

実家に98歳の元気な祖母がいます。
詳細は割愛しますが、
近所ではちょっと有名なくらい手強いです。

 
私は生まれたときから祖母が苦手です。
あ、苦手という言葉に逃げちゃった。
正直、どーーーしても嫌いなのですが
祖母は私のことが大好きです。笑

 
祖母の言うこと全てにノー!と言いたいし
極力会話をしたくないし
不謹慎だけど、あと何年の我慢かなぁ
とすら思ってました。

 
でも最近ようやく
このまま祖母が人生を終えたら
後悔するかも?と思うようになり

 
それに、
両親も姉妹も仲良くやってこられたのは
祖母の存在のおかげなのではと
思うようにもなり

 
感謝するようになりました。
好きにはなれないけど。

 
最近は帰ったときには
少しでも祖母と2人で話をする時間を
とるようにしています。

 
好きにはなれないけど
なるべく先入観を持たずに接して
変に気を遣わないよう遠慮せず
思ったことを素直に伝える努力を
始めました。

 

以下、昨日の会話。

 
ば「私はあんたに毎日ここにいて欲しい」
私「毎日いたらこんなに喋らないよ、
  たまにだから喋るんだよ」
ば「でもあんたがおると元気が出る。
  いつも寂しい」
私「お友達と遊んだら?」
ば「友達はみんな死んでまった」
私「じゃあデイサービス行ったら?
  楽しいらしいよ」
ば「ああいうところには行きたくない」
私「週に数時間だけでも行ったら
  気分転換になると思うけど?」
ば「でも私は腰も足も悪いから、、」
私「言い訳やな」
ば「言い訳か、、はーい、、、」

 
父も母もなかなか提案出来ない
デイサービスという言葉を出せた!

 
しかも手応え悪くない。
これは実現に向けて少しずつ
頑張りたいところです。
(母の自由時間を作ってあげたい)

 

あと昨日、電話番号を聞かれました。
げげげ、と思ったけど
即快諾してメモを渡した自分を
褒めてあげたいです。

 
(わざと電話番号間違えればよかったなー
って後で少し思ったけど🙄)

 

電話がかかってくる度
デイサービスを勧めようと思います。
洗脳洗脳♡

 
、、なんか今書いてて、
これただ単に、ろくでなしの自分を
公開しただけのような気がしてきました、、

 
これでも、
立派な進歩なのです!


祖母に嫌われるくらい
がんがん吠えていこうと思います。

 
吠えれば吠えるほど
好かれる気がして恐怖ですが。

 
人から嫌われるのを恐れていた私が
こんなにも嫌われたいと願うのも
人生でおばあちゃんだけだろうな。

 
やっば手強い。笑

いらないものはやっぱりいらない

少し久々にモノの見直しをしました。

ミニマリストにはなれないけど
なるべく近づきたいです。

今回悩んで悩んで未解決なのは
アクセサリー。

小さなものだから
収納面積は取らないけれど

とはいえ
イレギュラーに
増えてしまって、、
収納場所に困っています。
(数個のことなのに笑)

そもそも増えてしまったのは
おばあちゃんが最近
どうやら終活ブームのようで

実家に帰る度に
あれはいらんかこれはいらんかと
色々アクセサリーをくれるからです。

私だって光り物を見るのは楽しいし
喜んで貰ってあげることも
おばあちゃん孝行かなと思って
かわいいなと思ったものは
遠慮なく貰ったのですが

アクセサリーもやっぱり
毎日付けたいと思う
超お気に入りの
一軍メンバーがほんの少しいてくれれば
充分だよな、、、と
日が経つにつれて思えてきてしまいました。

おばあちゃんがくれた物たちは
残念ながら、私の現時点で持っている
お気に入りたちには勝てない。

たぶん義理でしか身につけないなぁ。

・じゃあ無理に貰わなければいいじゃん
・でもせっかくのおばあちゃんの気持ちを
 受け取ってあげたい

の狭間でモヤモヤしていたのですが
ちょっと思ったことが。

おばあちゃんはたぶん
私にこれをプレゼントしたい!という
giveの精神でくれたわけではない気がする。

本人は無意識だと思うけど。

あくまで終活の一環であり
本当はまだまだ未練があるのに
義務感で身の回りを整理しようとしていて

ちょっと表現が悪いけれど
「しょうがないからあげるわ。
 どうだ嬉しいでしょ?」

という感情が言葉の端々や態度から
見え隠れする。
だから素直に喜べないのかもなぁ。




こちらは別にいらんのだけど( ・∇・)




押し付けられても困るぜばあちゃんよ。




改めて
もともと自分が持ってるアクセサリーの
一つ一つとじっくり向き合った時に
そこに気付けました。

手元に残しているアクセは
普段身につけているものはもちろん

全然使っていないものもまだあります。

使っていないのにまだ持っているのは
それにまつわるエピソードにまだまだ
ときめくから。

それを見ると
思わぬサプライズでもらった時の

嬉しさが今も新鮮に蘇るから。

手放す日は来るかもしれないけど

まだまだ喜びの時効が切れないから。

おばあちゃんからもらったものには
そのときめきがないなと。

これからは、ちゃんと断ろう。
もしくは、売ってもいいか許可を取ろう笑
(売れるようなもんじゃないが)

やはり思いは相手に伝わるものだなあ。
邪念も含め。

と同時に
どんな物であれ
心から相手のことを思って
選んだ物なら喜んでもらえるんだなと。

プレゼント選びは大の苦手だけど
根本を忘れなければ大丈夫!!

と改めて思った出来事でした。

さてもらったアクセどうしようかな。。。

5歳男児に学ぶモテ力

私には5歳の甥っ子がいます。

 

彼が誕生するまでは、姪ばかりで
友達の子供も女の子率が圧倒的に多く

 

男の子ってちゃんと
生まれているんだろうか?
と日本の男女比を心配するほどでした。

 

なので
他の男の子がどんな感じなのか
わからないし
もちろん個性もあるとは
思うのですが

 

それでも
甥っ子が生まれてから思うのは

  

男の子って
こんなにも可愛い
生き物なのか、、、!
ということ。

  

彼はとにかく素直です。
そして、私のことが大好きです。

 

遠方に住んでいるので
長期休みくらいにしか会えないし
私としては
覚えててくれてるだけでも
嬉しいのですが泣
(ハードル低すぎか?)

 

 

※以下、●●ちゃん=私のこと

 

 

「●●ちゃん一番大好きだからこれあげる」

(オセロをやる際)
「●●ちゃんには白が似合うと思うよ」
 
(ゲームで私が勝ったら)
「●●ちゃんに勝って欲しかったから
 いいの」

「明日起きたら●●ちゃんいる?」

「●●ちゃんはおばあちゃんちで
 何が一番楽しかった?
 僕は●●ちゃんと△△したのが
 一番楽しかった!」

などなど
挙げればまだまだキリがありません。

もれなく
おばはニヤニヤが止まらないです。

子供はみんなこんなにも素直で
まっすぐ好意を伝えてくれるのか!?

そんなストレートに伝えられたら
きゅんきゅんしてまうやろー!!

甥よ、どうかそのままで育ってくれ。。。

でもどうせ遅かれ早かれ
照れが入って冷たくされる日が
やって来るんだろうなぁ。
泣ける。


子供はこんなに素直なのに

おそらく、あらゆる親たちが
世界一かわいいぜ!!と
思いながら育てるであろうに

 

なぜ

 

なぜ

 

大人になると
ちょっと残念な人に
なってしまうことが多いんだろう
(もれなく自分にも言ってる、、)

しかも
もし、大人になっても
素直さを失っていなくて

ストレートに好意を
伝えてくれたとしても

それが受け入れられる人もいれば
そうでもない人もいる。

ごめん、気持ち悪い、、、
と思ってしまう前に

誰しもみんな
赤ちゃんの頃は

「誰かの世界一」だったんだと
いうことを念頭に置いて
接することができるように
なりたいものです。

 

(!過去形にしちゃった、、)

 

今のところ
ずっと目に入れておきたい甥のことを
おばは温かく見守りたいと思います。

それにしても
タイトル明らかにおかしいな。

ただのおばばか日記です。
ごめんなさい。

私も素直にストレートに
思ったことを伝えられるように
頑張ります。

ゴキブリに改名を推奨したい

Facebookでは言えないことを
がんがん吠えたいと思っていたのに。

 

いざとなると
特に何も言いたいこととか
ありませんでした。

 

いやいや、でもさ
ぼーっとしているようで
何か考えてるんでしょ。

 

そのとき何を考えてるのか
頑張って意識してみようよ!

 

てことで今日
というか時々
思いを馳せることのある
ゴキブリについて。

 

あ、写真とかイラストとかは
載せませんのでご安心を。
(私は簡単なイラストでもびびる)

 

もれなく大嫌いなG。
私にとっては
夏が嫌いな理由にすらなるG。

 

幸い今年は今のところ
自宅では出会っていませんが

 

先日、職場にて
ゴミを出しに行った時に
遭遇しました。

 

どうでもいいけど
意外と外で見ると
何の虫なのかパッと見
わからなくないですか。

 

大抵遭遇する時って
家とかの屋内であって
しかもなかなかの存在感で
出現するから怖いんだろうな。

 

前に、とあるブログで、
Gと戦ったという投稿に
出会いました。

 

その記事の締めくくりが
「それにしてもあの大きな目!
 忘れられない。恐ろしい、、!」
みたいな締めくくりで。

 

その時に初めて
Gにも目玉があるということを
知ったのでした。

 

あまりにも自分の認識が
酷くて笑うしかないのですが。

 

目がなかったら怖いやん
触角だけを頼りに動いてることになる
その方が怖いわ

 

でもGなんて
ジロジロ観察しないし

 

なんとなく黒光りした物体で
長い触角がある虫
というくらいの認識で
彼らがどんな顔をしてるかなんて
知ろうともしないわけで。

 

でも目があると知ってから
更に恐怖感を抱きました。

 

 

が、

 

 

先日Twitter
「ゴキブリは実は目が
 すごくかっこいいんだ」
みたいな投稿を見かけました。

 

 

 

まじか。

 

 

 

そうか
かっこいいと思っている人も
存在するのか。

 

そう思うとなんだか
恐怖心も和らいできました。

 

刷り込みや思い込みの威力は絶大ですが
自分がどんなに拒否しているものでも
違う誰かの価値観で語られると
見え方も少しは変わるものですね。

 

私もなかなか柔軟な思考を
持ち合わせているのではと
嬉しくなりました。

 

だからと言って
受け入れられるわけではないけども。

 

それにやっぱり
生命力の強さや素速い動き
汚いところにいるイメージ

 

見た目以外にも
嫌いな理由はたっくさんあります。

 

何よりさ
名前がダメだと思います。
やっぱり。



いけてない。



彼らも自分で名付けたわけではなかろうに
いけてないとか言われてかわいそうだけど。



ごめんて。
でもやっぱ無理。
「G」に逃げちゃう。

存在に似つかわしくないような
かっこいい名前に変えろとまでは
言わないから

 

もう少しだけ
濁音が少なくて
恐怖のイメージが
薄まる名前に誰か
変えてくれないかな。

 

どんな名前なら
発音することに抵抗を
感じないかなとか

彼らは何て呼ばれたいかなとか
彼らの中ではちゃんと本名が
存在するのかなとか

 

通勤中にそんなことを
考えることが多いということに
気づいた今日でした。

 

私の脳みそって
ちょっと暇すぎやしないか。

 

「自分」を発信したいです

 

 

気がつけばもう1ヶ月以上
更新していませんでした。

 

Facebookだと
なかなか言いたいことを
何でも言いたい放題は出来ないし、

 

どうしてもいいね等の
反応が気になってしまいます。

 

だからブログやるぞーと思ったのに、
なぜだかうまく書けなくて。

 

うまく書こうなんてしなくていいんだけど
なんか楽しくないというか。

 

不自由なはずの
Facebookの方が
スラスラと文章が書けます。

 

私にとってFacebook
昔は、憎きリア充がやるものだったけど笑、

 

今では、
情報収集、
趣味仲間とのコミュニケーション、
旧友や、前職でお世話になった人への
生存報告です。

 

Facebook
私の人となりを知っている人が読む、
ということがわかっているから
書きやすいのかなあ。

 

言いたいこと言えてないのに。

 

ブログだと、
誰の目も気にしなくていいのに
だんだん自分が何者か
わからなくなってきます。

 

何者かになろうとしているというよりは、
何者でもなさすぎて

 

て感じ。
まぁ何者でもないですが。

 

Facebookの方が
「自分」な気がします。

 

 

てことは、
ここもFacebookと思って
書けばいいのか。

 

Facebookだけど、
もう少し我慢せずに
喋ればいいのか!

 

そうします。

 

大切な人たちへの
一人喋り。

 

そんな場所にしていこうと思います。

 

がんがん吠えるぞ。

 

 

 

美しき緑の星

はてなブログ映画部

 

【美しき緑の星】

 

1996年制作のフランス映画で、

上映前に発売禁止になってしまった(!)

クレイジー作品です。

 

日本では昨年やっとDVD発売されたみたい。

時代が映画に追いついた感!

 

ちょっと前に教えてもらい、やっと観たのですが、

すごく面白くてめっちゃ笑いました。

 

ごめんなさい、たぶんそういう映画ではないです。

どっちかと言うと、泣く人の方がいますように、と思う。

でも、だってね、色々シュールで、、笑

 


この映画見て、ふと思い出したことが。

「切断」された人がテレビを捨てるシーンがあるのですが。

ちょうど2年前、思いつきと勢いでウズベキスタンに行きました。
その長閑さに感動してなのか?、帰ってきた翌日に、

突然テレビの存在に対して違和感と嫌悪感を抱き、

泣き出したことがあります。

 

理由も言わず突然「テレビを消してほしい」と、

ただ泣き続ける娘に対して、何も聞かずに消してくれた母には

感謝しています。

(その後もちろん自分のテレビとはサヨナラした)

 

ウズベキスタンに滞在中、レストランのテレビで

サッカー見たりしてましたけどね、、

(余談ですが、その時画面に映った高円宮妃久子さまを

ガイドが見たときに、「この人はどういう方?」と

聞いてきてびっくりした覚えがあります。

何も知らないのに、

高貴な方であることが伝わったみたいで。

嬉しかったです。)

 

あと当時、ステロイドが手放せなかったのに顔の肌荒れも治った。

たったの3泊5日で。最近かゆいけど泣。また行きたい。。

 

もしかして私もウズベキスタン

「切断」されたのか😍

 

もしもいつか地球がこの映画のようになっていくのなら、

私はその世界で生きる素質あるんじゃないかな!

とひそかに自信を持ちました。

 

あああでも、空中ブランコは出来ないな、、

普通のブランコすらもう出来ない気がする。

想像するだけで吐けそう。

 

あとどれくらい生きたらこの時代が訪れるかわからないから、

ブランコに乗って待つことにします。吐きそうだけど。

 

 

みんなこれ観て「切断」されて覚醒しちまえ。

 

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